ふたたびの写真。写真するには、いい時代になっていた。その1

 やたらと画角や構図にうるさい演出、制作者であった映像製作をリタイヤしたあと。神経は、なんとなく動画に注がれていた(と思っていたのだけれど)気づくとスチールカメラを持ち、ひとりで写真を撮る自分がいた。ビデオであっても一人で作る事ができるのだけれど、スタッフワークで生活の糧として動画を作っていた私には、一人での動画製作は、難しく面倒。  

 テレビカメラマンとして映像製作をスタートしたけれど、原点は、いま思い返しても濃厚な写真を学んだ数年にあることに気づくと、そもそもが写真から入ったのであって、約40年経った今、スタートに戻っただけのことなのだ。

 そして、幸いだったのは、ふたたび写真をはじめた、今の時代が、写真するにはとても良い時代になっていること。いまから40年前に写真を始めた頃は、デジタルの影もなく銀塩の時代。撮影のあと、暗室作業で、フィルム現像とプリント現像をして、やっと撮影の結果を見ることが出来た。暗室作業もフィルム現像は、完全暗室でなければならず、プリント作業も水が使えなければならず、撮影のあとのこれらの作業は憂鬱なものであった。

 それに比べ、今では、シャッターを押した数秒後には、写真を確認でき、さらに撮影を終わってメモリーカードをカメラからPCに移せば、大画面で写真が確認できる。なんと素晴らしいこと。しかもカラーなのだ。暗室作業という憂鬱な作業を経なくても写真を確認できるということは、それだけ写真の『画』に集中できるということでもある。

 写真撮影された結果が、ネガフィルムが残る銀塩写真に比べ、デジタルデータであるという危うさは、あるけれど、すべての作業が明るい部屋で瞬時にできることの素晴らしさを享受しなくて、なんのデジタルなのだ。写真するには、いい時代になった。

「写真するには、いい時代になっていた。」もうひとつは、あらためて。