写真は、真実を写す? その2、
関東地方の平野部が最後の紅葉の季節を迎えている。そんな紅葉の季節を迎えて思い出すのが、この写真。前のシーズンに、雨上がりの野火止の平林寺で撮ったものである。
そのとき同行した氏いわく「本物のモミジは、こんなにきれいじゃない。」「色、足してる!!。本物の写真じゃない。」
そこで「本物の写真ってどんなの?」と問い、見せられたのは、コンパクトデジタルカメラで撮った、フラットな調子の茶色の紅葉の写真。
「平林寺で見た紅葉って、色が鮮やかできれいだったよね。?」
「雨上がりの境内、人が少なくて、寒かったけれど、紅葉がキリッとした、はっきりした色で、きれいだった。」
にも関わらずコンデジの茶色の紅葉が本物の写真だというのである。後処理で彩度を上げたりすると嘘の写真ということになってしまうというのである。記憶の中の「きれいな色」は何処に行っていまったのだろう。
これが、「絵」だったら、どんな色を使おうが「この色は、うそだ。」「この絵はうそだ。」などと言われる事は、ほぼゼロである。!
脳科学者の茂木健一郎氏がテレビ番組で紹介するところの「アハ体験映像」。現に今みている画像の一部が変化しているにも関わらず、どこが変化しているのかわからない。というやつである。まばたきもせずにジッと凝視しているにも関わらず、見えない。真実を見ているはずの人間の視覚の不確かなこと。そこにあるものが見えなかったり、無いはずの物が見えたりする。写真を撮るときでさえも、ファインダーの中を良く見ているつもりなのに、事後のチェックで、肝心なところに、大きなゴミがあったりする。これが「ヒトガタ」だったりすると大騒ぎ、心霊写真になったりする。
日常的に良く体験するのが、「ソラ耳」。まずい事が起こったときの、言い訳に使われるが、人間の五感「視」「聴」「触」「味」「嗅」には、それぞれに「ソラ」がつきまとう訳で、人間の感覚自体がどれが本物で、どれが偽物か判らない。にも関わらず「写真は真実を写してなければならない。」といわれるのが、私には、不可解である。
写真は、その時に私が見ていた、時間と空間との記憶である。