写真にテキストを付けない事について

40年前の写真小僧が写真学校生だったころ、その写真学校は、かなり真面目に写真をやっていて、(その当時もかなり、いいかげんな写真専門学校が多かった。)写真制作の課題が毎週ひとつ以上のペースであった。単写真は、認められず、組写真が基本かつ前提だったのでかなりのハイペースで写真を撮らなければならなかった。そして、その写真の評価は合評会に近い形でなされる。

 当然、写真についての合評では、かなりキツい事をいわれる訳で、写真を撮った本人は、ともすれば言い訳がましく、撮影時の状況や、ねらいを細かに説明を始める。そんなやりとり重ねるうちに、ほぼ必殺のキメ台詞。「口で、そんなことを言ったって、写真に全然,写ってねえじゃねえか。」要するに、「写真は、写真で語れ。」・・・・・そんな事いわれても簡単に写る訳もなく、ただ、うなだれるしかない。

 全員が写っていなければ、なんとなく救われるのだけれど、なかには「写っている奴」「写すことが出来るやつ」がいる。なんか訳がわからなくても、数ヶ月、組み写真作っていると「写っている写真」が判るようになってくる。口で語らなくてもよい写真を見せられると自分の非力さ、能力のなさを感じるばかり。一方では、「何かありそうに写真を見せる。」技(そういう技があるのです。)を持つ奴さえ現れる。いずれにしても、その頃になると脱落者が出てくる。なにしろ自分に「写真で語る。」能力のないことを嫌という程知らされる訳で、写真学校に来なくなるのである。

 残る者は、自分を信じ続けるしかない。「いつか我が身にも写真の神が降りてくる。」と信じ、ひたすら続ける気力があるかどうか。

 

 いずれにしても「写真は、写真で語れ。」が写真作法の基本なのです。

 

 ただし、報道写真やドキュメント写真とtextについては、またあらためて。