写真日録

 40年前の写真小僧が写真学生だったとき「毎日一枚の写真を撮れ。」と言われていた。毎日フィルム一本は、撮影するようにとも言われていたので、「毎日一枚の写真を作れ。」ということ。35㍉銀塩フィルム一本は、36コマなのだけれども、TTLがついているだけで、すべてがマニュアルの一眼レフカメラで、この一日一本がかなり難しいことだった。さらに、フィルム現像と印画紙現像(コンタクトプリントとセレクト後のプリント)をしなければ写真にならない訳で、6畳間に畳一枚分の流し台があるだけのアパートでは、毎日この現像作業は、ほぼ不可能であった。

 とはいえ、毎日、首からカメラを提げていたのでシャッターを切る事はできていた。一週に一度づつ、フィルム現像と印画紙現像を2週にわたって行い、やっと写真ができる。という行程を3年間続けていた。この作業を続けていると、まず、シャッターを切る事に快感を感じるようになって、記憶に画像が残るようになってくる。現像作業を行って、画像として現れるときの瞬間がたまらなくなってくる。さらには、「記憶に残る一枚」のプリントを作るための「焼き込み」「覆い焼き」の作業にのめり込むと、プリンティングハイとでも言えそうな感覚に落ち込んで行く。写真をする楽しさのかなりの部分をルーティンワーク化した一連の作業工程が占めていたようにも思う。そして、この行程を続けて行く中で、シャッターを切る瞬間や、写真として画像となったときの確信ができてくることは、確かにいえる。

 ランナーのランニングハイ。画を描く人たちのペインティングハイ。研究に携わる人たちのアカデミックハイ。などなど、その道を突き詰めて行く道程のなかで起きる「一連のことが繋がった感じの恍惚感。」は、簡単に言えば「日々続ける。」なかで起こること。

 でも40年前のあのころ「毎日一枚の写真を撮れ。」ということの意味は、判っていなかった。

 まあ、この年になって判っただけでも良しとしよう。そのような訳で「ふたたびの写真日録」なのです。

 日々更新。日々亢進。