大人の発達障害

 このtext blogも気がついてみるとほぼ1ヶ月更新していない。これまで、少しなりとも写真にまつわる事を書いて来たけれど、今回は、意を決して、写真から離れたことを書いて見る事にしたのです。

   この数年、ニホンの大きな新聞やテレビのニュース、報道番組は見なくなった。

 新聞は20年ずっと同じ物だったけれど、一昔前には名文とされた1面の下のコラム記事がとても汚くなったことがきっかけに、首都圏で買える弱小メジャー紙に換えた。

 テレビでニュースにまつわるものを見なくなったのは、3.11の計画停電がきっかけ。日に数時間の停電を強いられ、通勤電車の本数が少なくなり、医療機器が止められ亡くなった人がでたり、電気が止められ操業出来なくなった零細企業などなど、とても多くの人が犠牲を強いられた。それにも関わらず計画停電に入らなかった、テレビ局は、事の起こる前と同じように24時間、テレビ放送を続けていた。(30年前のオイルショックのときには、深夜放送は中止していた。首都圏でいえば、芸人だらけの番組しかつくれない民放は、2局あれば十分)

 新聞とテレビでニュースとか報道と言われるものをやめて以降、そのような情報は、ネットを探し、それぞれの分野で幾つかのサイト、ブログ、から得るようになった。そして、ラジオ。ネットを通しては、日本中、世界中のラジオを聞く事が出来る。

 

で、これからが本論。そんな中で、このところ定期的に読んでいるでいる連載がある。

 奥村隆 テレビ制作マンが語る発達障害との戦い「息子と僕のアスペルガー物語」

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

 著者である奥村さんの息子が発達障害であることがわかり、現状と対処法を探るうちに、父親の奥村さん自身が身づからの症状に気がついていく。という「発達障害との戦い」を描く連載。

 

自閉症」「アスペルガー症候群」「注意欠陥・多動性障害」「学習障害」などを含む、「ASD」(自閉症スペクトラム)と呼ばれる症状がとりあげられていて。私がはじめてこの記事に触れたとき「大人の発達障害」という言葉に強く印象づけられた。

 ASDの特徴として、主に二つの点が挙げられてる。一つ目は「他人の気持ちが分からない傾向があり、人間関係の構築が苦手である」ということ。二つ目の特徴は「特定のことへのこだわりが強い」ということ。

 文中のASDの症状とそれにまつわる出来事を読んでいると、「これ自分自身のこと。」「これあの人のこと。」と思い当たることが、次々、現れるのです。連載は21回目なのですが、回によっては、私も「ASD』なのでは、とさえ思うことさえあるのです。

 そして、振り返ってみると、私の回りには、いつでも「鬱」の症状や「パニック障害」を抱えた人が、いつもいたことに気づいたのです。

 その人たちは、学校、会社、近隣の中では、少し変わった人たちで、扱いにくいとされていたけれど、おしなべて優しい人たちであったし、こちらが彼らに向かって爆弾を投げつけない限り、感情を露にすることもなかった。周囲の近親者の過剰な保護や、周囲の人間の無自覚な言葉がどれだけ彼らを傷つけて来たか。

 そして、普通の人たちで形成する常識的な集団の中の「社交的」「空気を読む」「常識的」な行動や意識のなかに「閉鎖的で、空気の読めない、非常識な」ことが溢れているのでは、と思われるのです。さらに悪質なのは、その常識的な集団の中に「閉鎖的で、空気の読めない、非常識な」ことに気づいていながら、自覚してない風を装っている人が少なからず、いること。

 もしかすると、「大人の発達障害」とは、見ていながら、見ない振りで埋め尽くされている日本社会の、埋めきれないオーバーフローした部分で、こちらの部分にこそ、あるべき人の姿がはっきりと現れているのかもしれない。