日々静物画写真

握力が半分に落ちた。ジジイになったことを自覚することが起きた。

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 65歳以上の高齢者人口が3588万人、総人口の28.4%となったそうだ。たしかに、どこに行っても、私もふくめ、年寄りが沢山いるわけだ。。 

 先日、誕生日を迎えた。この十年ほど誕生日がきて、「いくつになった。」と聞かれても即座に返事できない。「2019-1951=68」の引き算は、まだ一瞬でできるので、68歳と答える。そんなぐあいなのです。

 リリー・フランキーは、大人を「子どもの想像の産物」、「子どもがつくった大人っていう架空の生き物だ」と語っったそうだが。そのとうりだと思う。

 20、30代の世代からみれば、50代は両親の世代であり、60代から上の世代は祖父祖母の世代。 振り返って見ると、自身の年齢、それぞれの時に、父母、祖父母の世代は、確かに「大人」だった。

 子供の頃の「大人の領域」を通過して来たけれど、自身ではまったく大人としての自覚がない。自覚のないまま、今の年齢になってしまった。いつの年齢のときも「自分は自分であって、20代の自分、30代の自分、40代、50代の自分を自覚していた訳ではなかった。」

 ところが今年になって、自身が「ジジイ、爺」になったのだと自覚せざるをえない事が起きた。

 この前の冬ぐらいから、左の肩が痛い。上腕筋が痛い。左の背筋が痛い。一カ所だったり、複数箇所同時だったり。そして、春の連休のあたりから、ほぼ、左上半身が痛むようになり、前腕筋まで痛んできた。

 立っていても、寝ていても、左を下にして横向きに寝る事は、激痛でできず。かといって左を上にしても、とにかく、どんな姿勢でいても、どこかが痛み、眠ることができなくなった。

 そして、4月20日。いつものように右手でペットボトルを持ち、左手でキャップをひねり開けようとしたけれど、できない。左手がしびれ、左手でなにかを持とうとしても、力が入らない。
 さすがに、「あせった。」これはまずい、迷わずに整形外科へ。


 診断は「変形性頚椎症 頸部神経根症」簡単に言えば頚椎が原因の神経痛。

 年を途って頚椎に変形があらわれ、神経が圧迫されておこる症状で、基本的には、治るそう。少し強めの鎮痛剤やほかに何種類かの薬を出してもらう。さらに、痛みに伴う症状をやわらげて、筋肉や関節の状態を改善するためにリハビリをうける事になった。

 治療手当にあたって運動機能を調べると、左手の握力が18キロしかない。記憶していた握力の半分以下に。

 気持ちのうえで老化を意識することがなく過ごしてきたものの、肉体的な部品の老化が激痛とともにやってくると。さすがに老化を、「ジジイ化」を意識せざるをえない。

 ついでにいえば、左手はカメラをホールドして持つ手。キャンディットは完璧にできなくなった。まあ、今、私が撮っている写真は手持ちができなくても問題はないのだけれど。

 ただ痛みが常にあるので、気持ちが萎える。

 今のスタイルで写真を撮り始めた頃は、一日一枚を掲げていた。けれど五年前の椎間板ヘルニアの手術入院のころから、一日一枚は無理になり、最近は二日に一枚ぐらいのペース。

 確かに歳をとったと思う。