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続けるということ

3年、5年、10年、あるいはもっと長く続けたとして

その時がきたとき、どのような結果がでているのか

良い結果かもしれないし、なにも残っていないかもしれない

けれど、続けたあとにくる、なにものかは、続けることでしかやってこない

もしかすると、自分が死んでしまった後に、やってくるかもしれない

 

続けることの意味は、続けることでしかわからない。

 

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唯、唯一の

創る者であろうとするならば、ほかに類するもののない唯一のものでなければならない。

どこにもない、見たことのない、想いもよらない、そのような写真を創る。

 

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40年前の青年の姿で

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 入院していた時のこと、携帯電話が鳴り、見知らぬ番号が表示されていた。電話の向こうの彼が告げた名前で、すぐに誰であるかを理解したが、およそ40年ぶりの連絡であった。学校の同窓会名簿から、実家を探し、私の携帯にたどり着いたということであった。

 その後、電話で話し、手紙をやりとりした。届いた封書を開けると。出て来たのが老齢のオヤジの写真『ギョット』した。

 彼に最後に会ってから、すでに40年の時が過ぎている。私の記憶にある彼は、20代前半の精悍な青年であって、60すぎの老人ではないのだ。そうか、これが今の彼の顔なのだ。彼と私の姿は、20代のあのときのまま、自分も20代のままなのだ。

 彼には、わたしのブログとFacebookを伝えてあって、私の今の姿を見ている。彼も今の私の姿に驚いたのだろうか? 

 学生だった当時の彼には、多くの同級生の中に在って、少し違った共感をもっていた。疎遠であったことに違いはないのだけれど、彼の存在は、その共感とともに私の中にずっと在った。

 

 9月に入ってすぐの帰郷の際、再会することになっているが、40年の時間は埋まるのだろうか。現実の姿は、老人であることを認めたとしても、「20代の、あのときの共感を共有できればよいのだけれど.........」と願っているわたしは、すこし厚かましいのだろうか。

 

入院の記録

入院から二ヶ月が過ぎようとしています。梅雨が開けて、気力がついていかずボンヤリしています。いつもの写真は撮ったのですが、迷っています。病棟での日々を思い出していました。ipodでとってあった写真をあらためて見ると、「かなり暗いナー」と。

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続けること

 2013.04.17以来ひさびさのTextです。

 Textを書きたくなったことは、幾度かあったのですが、なんとなく世の中「ものが言えない、言いにくい雰囲気」のことが多くなったような気がしてしています。最近でいえば、東京五輪のこと「ウーーーン」という感じの人が私の回りには、幾人かいるのですが、はっきりと言いにくい感じなのです。

 

 わたしの写真のブログには、Textがついていません。ブログへのアクセスを増やすとすれば、写真への思いや解説を付けた方が良いのでしょう。そもそも私は、写真には、キャプションは必要ないと考えているので、被写体の名前すらつけていません。それでも、はてなには、☆を付けられる機能があるので、見ていただいて何かを感じてもらった、あかしとして☆を受け取っています。「☆」をいただけるだけで、十分に感謝、感謝です。

 

 はてなで「ありうべきとき」を始めて、すでに一年が過ぎました。はっきりとした意識をもって、ひとつの視点で長期に写真を撮り続けたこと、これまで、なかったけれど、幾度かの転換点がありました。

 

 続けること。

 絵を描く人たちがデッサンを続けること。武芸百般、稽古を続けること。芸人が人前に出て話し続けること。職人が同じ作業を繰り返し続けること。・・・・などなど、「効率」と対極にあることのが「修業」ともいえる続けることの意味、理由なのだとあらためて感じています。

 

 今までのやり方を、これからも続けるつもりですが、少し整理をつけていかなければとは、考えています。

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カメラは、何でも良いわけではない。

 

 

 二週間程前のsumihateさんのブログ「カメラもなく、腕もなく・・・」に

「私思うに、さにあらずサイバーショットでも十分です。だってsumihateさんの写真、私、好きですヨ。この件、長くなるので改めて書いてみます。」

とコメントしたことずっと気になっていて、そのことについて書いてみようと思った次第です。

 

 入社式、入学式などなど多くの人にとって節目の四月です。そんな行事につきものなのが、記念写真の撮影。多くの場合写真館の写真屋さんが撮ってくれる。写真屋さんが撮る写真と言えば結婚式の記念写真。最近は、それほど多くの機会がようですが、写真館にでかけての家族写真。

 

 記念写真の撮影のときに、いくら解像度が高くなったとはいえ、名刺サイズのコンデジカメラや携帯で撮影されたらお金払いたくないし、そんな写真屋「帰れ」といわれてもしょうがない。いま写真スタジオで撮影する以外には、カブリ布を使うような箱形のスタジオカメラは、見かけなくなったけれど、あれを使っての写真撮影は、記念写真の値打ちが上がる気がして

「少々,料金が高くてもしょうがないか。」という気持ちになる。記念写真屋さんの出張撮影には、見た目、大きめの一般人は持っていない中型カメラは欠かせない。ありがたみが違う。

 

 ところで写真屋さんにとって一番怖いのは、撮影したはずの記念写真が写っていないこと。なにかの事故で写真が撮れていないとなったらお客に罵倒されて、料金は貰えず、即、写真屋廃業。

 そこで写真屋さんの使う手がカメラを2台用意すること。見た目にありがたい大きめのカメラと、デジタル一眼レフのカメラ。デジタルは撮影した写真をその場で確認できるから、リスク回避のため。2台のカメラは、記念写真の写真屋さんにとっては、欠かせない。

 

 写真屋さんの記念写真撮影の話しをしたが、ようするに「写真」が必要とする要件は、人によって違うので、それにあったカメラが必要だということ。なんでも良い訳ではないのです。

 子供や孫の運動会の撮影、バードウオッチングでの野鳥の撮影、花のアップの撮影、建設現場の記録などなど。なにが撮りたかによって、カメラのスペックも考えないといけないということ。

 

「写真は感性で撮るもの。」という言い方がありますが、それによって「カメラは何でも良い。」とはいえないということ。何を撮りたいかによって、カメラが持つべき機能が違ってくるわけで、次に来るのが感性だという事なのでは。

 

 

 

肖像写真として、ほめられた物ではないが・・・。

 現在、私が住んでいるところは、さいたま市といえど、東京通勤圏にある住宅地で、それなりの買い物をするためには、駅周辺の商店街では、用が足りず、15キロ圏内に6カ所あるショッピングセンターのどこかに出かける。車が日常の足になっている。

 

 いつの頃からだろうか、信号で止まる度にイライラするようになった。気がつかなければよかった。信号、踏切で止まる度に目につくのである。いわゆる「政治家」といわれる人たちの顔写真ポスターである。歩行者用信号の近く、踏切の遮断機の近く、多い所だと3人4人のポスターが、本当に絶妙なところに貼ってある。

 

 イライラした気分で見ていることもあるのだろうけれど、いずれものっぺりした感じの顔写真で、写真としてほめられた代物ではない。出来る限り見ないようにとは思うのだけれど、歩行者の背中の向こうにあるので、いやでも視界に入ってくる。

 

 しかし「写真としてほめられた物ではない。」とは言ったものの、顔写真を撮ったカメラマン氏は、それなりに職務を果しているようだ。

 というのは、この前の衆議院選挙のとき、駅前で街頭演説をしている候補者に出会ったが、後援者であろう取り巻きの方々のほうが余程、貫禄があって、タスキがなければ、候補者が誰が誰やら、まるで判らない。つまりポスターの写真のほうが本人より、まだ存在感がある。写真は真実を写してはいない。という例がここにもあった。

 

 いずれにせよ、何の制約もなく、年中貼ってある、あの顔ポスターなんとかならないものか・・・・。

今度は粋かよクールジャパン。自分で言ったら野暮になる。

 もうずいぶん前のことになる、娘が保育園に通っていた頃の事。毎朝、保育園に娘を送って行くのは、私の役目だった。朝に子供達を待っている保育士さんは、一週ごとに替わるのだけれども、その中のAさんのお迎えの言葉は、「○◯ちゃん、おはよう、今日もがんばろうね。」我が娘だけでなく、すべてのの子供達に。Aさんのいる一週間おなじ言葉をかけてくれる。数週たって、またAさんがお出迎えの当番になると、お迎えの言葉は、「○◯ちゃん、おはよう、今日もがんばろうね。」

 その保育園は、零歳児から受け入れていたので、親離れしていない子の中には、親と離れたくなくてグズる子もいる。Aさんの「○◯ちゃん、おはよう、今日もがんばろうね。」の中には、「おかあさんがお迎えで来るまで、さみしいけど、お友達と一緒に元気で遊んで待っていようね。」そんな感じが、含まれていたので、当時そんなに嫌な感じはしなかった。ただ、「毎日、がんばろうね。だと「がんばろう」のありがたみがなくなるよなアー。」そんな感じで受け取っていた。

 

 ご存知のように、2011年3月11日以来、「がんばろう東北」「絆」。繰り返し、繰り返し使われてる。・・・繰り返し言われても、そんなに頑張り続けられないんじゃないの。

 そして、ご存知のように、20117年7月のロンドンオリンピックがあって、メダリストとなった選手のコメント「応援していただいた方々に勇気を受け取っていただければ、がんばった甲斐があります。」・・・勇気を感じるかどうかは、差し出すあなたが決める事じゃないよ。

 

 少なからず、へそ曲がりな、私であるけれど、違和感を覚えていたら、極めつけが現れた。

 

 政府は来年度予算案に、クール・ジャパン推進のための基金創設として500億円を計上し、クールジャパン推進会議を設置することにしたとのこと。さっぱりして、あかぬけた日本人を表す言葉「粋(いき)」を前面に出したシンボルマークを作り、記念コインを発行するらしい。アニメやファッションなど日本の得意分野で海外ビジネスを拡大させることを狙ってのことらしい。

 

 でもチョッと待って。「クール・ジャパン」って、カッコいいニッポン、さわやかで、あかぬけたニッポンということで。さっぱりして、あかぬけた日本人を表す言葉「粋(いき)」を前面に出すことって、当の本人である日本が言うと「俺ってクールだろ。」「俺って粋だろ。」って言う事なわけで、芸人のキメ台詞。ギャグじゃないの。大体にしてが、自分で自分を「粋だろ。」って「俺って野暮だろ。」って言ってるのと同じことじゃないの。

 そんなことのために、500億円使うって、いよいよ「侘び」「寂び」「粋」は、日本のメインストリームからは、なくなってしまったようだ。

大人の発達障害

 このtext blogも気がついてみるとほぼ1ヶ月更新していない。これまで、少しなりとも写真にまつわる事を書いて来たけれど、今回は、意を決して、写真から離れたことを書いて見る事にしたのです。

   この数年、ニホンの大きな新聞やテレビのニュース、報道番組は見なくなった。

 新聞は20年ずっと同じ物だったけれど、一昔前には名文とされた1面の下のコラム記事がとても汚くなったことがきっかけに、首都圏で買える弱小メジャー紙に換えた。

 テレビでニュースにまつわるものを見なくなったのは、3.11の計画停電がきっかけ。日に数時間の停電を強いられ、通勤電車の本数が少なくなり、医療機器が止められ亡くなった人がでたり、電気が止められ操業出来なくなった零細企業などなど、とても多くの人が犠牲を強いられた。それにも関わらず計画停電に入らなかった、テレビ局は、事の起こる前と同じように24時間、テレビ放送を続けていた。(30年前のオイルショックのときには、深夜放送は中止していた。首都圏でいえば、芸人だらけの番組しかつくれない民放は、2局あれば十分)

 新聞とテレビでニュースとか報道と言われるものをやめて以降、そのような情報は、ネットを探し、それぞれの分野で幾つかのサイト、ブログ、から得るようになった。そして、ラジオ。ネットを通しては、日本中、世界中のラジオを聞く事が出来る。

 

で、これからが本論。そんな中で、このところ定期的に読んでいるでいる連載がある。

 奥村隆 テレビ制作マンが語る発達障害との戦い「息子と僕のアスペルガー物語」

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

 著者である奥村さんの息子が発達障害であることがわかり、現状と対処法を探るうちに、父親の奥村さん自身が身づからの症状に気がついていく。という「発達障害との戦い」を描く連載。

 

自閉症」「アスペルガー症候群」「注意欠陥・多動性障害」「学習障害」などを含む、「ASD」(自閉症スペクトラム)と呼ばれる症状がとりあげられていて。私がはじめてこの記事に触れたとき「大人の発達障害」という言葉に強く印象づけられた。

 ASDの特徴として、主に二つの点が挙げられてる。一つ目は「他人の気持ちが分からない傾向があり、人間関係の構築が苦手である」ということ。二つ目の特徴は「特定のことへのこだわりが強い」ということ。

 文中のASDの症状とそれにまつわる出来事を読んでいると、「これ自分自身のこと。」「これあの人のこと。」と思い当たることが、次々、現れるのです。連載は21回目なのですが、回によっては、私も「ASD』なのでは、とさえ思うことさえあるのです。

 そして、振り返ってみると、私の回りには、いつでも「鬱」の症状や「パニック障害」を抱えた人が、いつもいたことに気づいたのです。

 その人たちは、学校、会社、近隣の中では、少し変わった人たちで、扱いにくいとされていたけれど、おしなべて優しい人たちであったし、こちらが彼らに向かって爆弾を投げつけない限り、感情を露にすることもなかった。周囲の近親者の過剰な保護や、周囲の人間の無自覚な言葉がどれだけ彼らを傷つけて来たか。

 そして、普通の人たちで形成する常識的な集団の中の「社交的」「空気を読む」「常識的」な行動や意識のなかに「閉鎖的で、空気の読めない、非常識な」ことが溢れているのでは、と思われるのです。さらに悪質なのは、その常識的な集団の中に「閉鎖的で、空気の読めない、非常識な」ことに気づいていながら、自覚してない風を装っている人が少なからず、いること。

 もしかすると、「大人の発達障害」とは、見ていながら、見ない振りで埋め尽くされている日本社会の、埋めきれないオーバーフローした部分で、こちらの部分にこそ、あるべき人の姿がはっきりと現れているのかもしれない。

 

卓袱台の上だって写真になる瞬間

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 被写体をそこまで運んではくるけれども、構図までを決めて、このように撮ろうと決めてかかっている訳ではない。このような光のもとで、このような構図で撮ると決めてかかっても写真には、ならない。

 

 習作のように、あらかじめ手本となる図像のあるものでも、そのときの光の具合、加減を見ないと写真にならない。単なる図解写真にしかならない。

 

 いつもそこにあるものであっても、ある時刻に、ある光線のもとで、見えなかった姿や、ただずまいが見える時がくる。

 

 被写体となる物を選ぶときは、被写体となる物に魅入られて手を伸ばす。何でも良い訳ではない。被写体となる物は、あってもなくても良くて、あることに意味もない。

 

 ただ、そこにある空間、そこにある光、そこにある色、形が、美しいと感じられるかどうかだけ。

 卓袱台の上にだって美しい瞬間、空間は出現する。

黒バックに卵

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 40年前の写真小僧が写真学生になったばかりの5月、写真撮影の実習課題として、こんなものがあった。「白バックに卵」「白バックに石炭」「黒バックに石炭」「黒バックに卵」被写体が「卵」と「石炭」で背景が白と黒の色ケント紙。私の記憶では、担当が研究室の助手で、とにかく撮影して紙焼きを提出するように、とのことで、何の事やら課題の意味する所の説明もなかったような気がする。

 写真学生になったばかりとはいえ、「白バックに卵」「黒バックに石炭」は、手強いかなと思えた。けれど「白バックに石炭」「黒バックに卵」は楽勝だろうと撮影、プリントを終えて課題提出。結果は、卵がグレー、石炭がグレー、白バックも黒バックもグレーであるとの評価、再提出となった。はっきり言えば、いまだってこんな課題だされたら4パターンとも合格する自信はない。白と黒だけだって大変なのに、卵と石炭の質感、ケント紙の質感まで言われているわけで、写真学生になって一ヶ月の写真小僧には、太陽を西から昇らせろ、ぐらいの無茶ぶり課題である。

 この課題、再々提出ぐらいまでは、やったように思うが当時の同級生も合格した記憶がなく。いつの間にか課題自体がフェイドアウトしたように思う。(念のためにいえば、モノクロ撮影、モノクロプリントの課題です。これがカラー撮影だと色温度のことなどもからみ、より難度は高くなる。)

 

 という前振りをしておきながら、あえて冒頭の質感不明の「黒バックに卵」の写真。そして、40年後の今も、「白バックに卵」「白バックに石炭」「黒バックに石炭」「黒バックに卵」が写真技術を越えた「写真をする」さまざまな局面で浮かんでくる。

 

 写真について論じる時、カラーであるかモノクロであるか、銀塩であるかデジタルであるかが、きわめて断定的に頻繁に語られる。わたしは、モノクロであるとか、カラーであるとかの不幸も「写真」が真実を写す物であるとの神話から生まれたものであると、思っている。

 

 モノクロであろうとカラーであろうと、重要なのは「光と色」それがある「空間」でそれをどのように「感じ」捉えて、写真としてフィードバックするのか。

 黒は、光の反射率がゼロですべての波長の光を吸収する色で、絵の具の三原色を混ぜると黒になる。一方、すべての波長の光を均質的に含んで強く反射していれば、白に見える。見る人が、いずれかの波長の光色を、弱く、強く、感じるかによって、空間の広がりをどのように感じるかによって、一枚の写真は、違って見える。それで良いのだと思う。

 本来の目論みではなかっただろうが、写真学生になりたての時期に、究極の課題を与えてくれたものだと思う。「白バックに卵」「白バックに石炭」「黒バックに石炭」「黒バックに卵」。

  ちなみに冒頭の卵の写真、「カラー写真」である。

父の写真機

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 十年前に亡くなった父のカメラである。

 我が国最古のカメラメーカーである六桜社製のリリー5年型カメラ。(六桜社とはコニカミノルタの前身、小西六本店のカメラ製造子会社。) このカメラを父が使っていたのを、私は見た記憶がない。父が使っていたことを覚えているのは、ミノルタ二眼レフである。

 

 実家の階段の下の物入れに引伸機やら現像用品、写真用品が詰まっていた。それが写真用品であることが理解出来たのは、私が写真学生になってからのことであり、それ以前には、それらが何をするための物なのかという疑問すら持たなかった。その写真用品の持ち主は、父であったのだが、父がそれらの道具を使う姿を一度も見た事はない。

 写真学生となった時に、それらの道具が、父に問うまでのこともなく写真用品であることは、理解出来た。 写真学校に入った最初の夏に実家の物置でフィルム現像もプリントもしたことを覚えている。現像に必要な暗室用品はすべてそろっていて、東京の六畳一間のアパートでする暗室作業より、はるかに快適だった。

 父は、家族に対しては何も語らなく、結論だけを言う人であった。写真についてもそれが趣味であったのかさえも、それらの道具が自分のものであること以外、語ったことはなかった。しかし、カメラや暗室用品が父のものであったということは、父が若いころに趣味であったとしても写真についてそれなりの強い思いがあったのだろうと思われる。

 

 そしてわたしは、写真学生となり、今、日々写真に憶いを込めている。父が写真に入れ込む姿は、私の記憶にはないけれど、このカメラを見る度に、写真に対する憶いの強さは、父のそれを受け継いでいるからなのではないのかと。同じDNAにあるのだと言えば簡単なのだが。

帰ったら雪、戻っても雪・・・一年ぶりの帰盛

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 故郷、盛岡は、例年冬の降雪が、それほど多くない。大陸からやってくる日本海越えの湿気を含んだ寒気は東北の背骨、奥羽山脈にぶつかって日本海側の青森津軽、秋田、山形に大雪を降らせる。山脈を越えてやってくる寒風は、乾燥していて太平洋側は、大雪にはならない。正月前の年末に雪がまったくないシーズンもめずらしくない。

 

 日本全体が冷え込んでいる今年のふゆは、盛岡も一段と寒いようで、日中の最高気温が氷点付近では雪が溶けることなく積もり、町の中には、さらさらとした雪が降っていた。それでも、盛岡の住人にとって、雪の冬は、当たり前の事で、迎えに来てくれた弟嫁の車から見る町では、車も人も、首都圏の感覚でいえば2拍3拍も、ゆっくりと行き交っていた。

 故郷の友人と飲みかわした夜、30分ほど実家まで降りしきる雪の中を歩いて帰る。夜の町中は人影もなく、雪明かりで、妙に明るく、さらさらの雪をニット帽に積もらせながら、久々の故郷の冬を楽しんだ。

 

 そして、1月14日。盛岡を出た新幹線は、岩手、宮城、福島とずっと降雪の中、さいたまに戻ってみると、盛岡と同じような一面の雪景色。ただ違うのは、降っている雪が湿っていることと、駅前の騒然としたようす。迎えにくるはずの我が妻からの携帯「駐車場から出た所で、車がスリップしてどうにもならない。迎えにいけないのでどうにかして帰って来てほしい。」午前中に戻って来ていたのでタクシー乗り場は、まだ長蛇の列とはなっておらず。成人式帰り、溶けてた雪で白い足袋を黒く濡らした晴れ着のお姉さん達に、先の乗車をゆずりながらも、15分ほどで乗車。

 自宅までの道のりは、大宮台地のはずれの坂がいくつかある。ここでも車がスリップして坂を上れない。それを待つ車がつながり渋滞。ご存知のとおり、午後になると電車の運行中止や高速の渋滞のニュースが流れてくる。

 

 翌朝は、凍った雪の町中では、車がいつもと同じタイミングでブレーキ踏んで滑り、アクセル踏んで滑る。いつもと同じ車間距離でぶつかる。自転車通学のお兄ちゃんは、いつもと同じスピードで飛ばして転ぶ。ヒールのお姉さんが転ぶゾと思う間もなく転ぶ。 「みんな想像力と予知能力なくなったのかなーーー。」

 

 気がついてみると何となく気ぜわしく、さいたまの雪、写真を撮る事忘れていた。

 

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写真日録

 40年前の写真小僧が写真学生だったとき「毎日一枚の写真を撮れ。」と言われていた。毎日フィルム一本は、撮影するようにとも言われていたので、「毎日一枚の写真を作れ。」ということ。35㍉銀塩フィルム一本は、36コマなのだけれども、TTLがついているだけで、すべてがマニュアルの一眼レフカメラで、この一日一本がかなり難しいことだった。さらに、フィルム現像と印画紙現像(コンタクトプリントとセレクト後のプリント)をしなければ写真にならない訳で、6畳間に畳一枚分の流し台があるだけのアパートでは、毎日この現像作業は、ほぼ不可能であった。

 とはいえ、毎日、首からカメラを提げていたのでシャッターを切る事はできていた。一週に一度づつ、フィルム現像と印画紙現像を2週にわたって行い、やっと写真ができる。という行程を3年間続けていた。この作業を続けていると、まず、シャッターを切る事に快感を感じるようになって、記憶に画像が残るようになってくる。現像作業を行って、画像として現れるときの瞬間がたまらなくなってくる。さらには、「記憶に残る一枚」のプリントを作るための「焼き込み」「覆い焼き」の作業にのめり込むと、プリンティングハイとでも言えそうな感覚に落ち込んで行く。写真をする楽しさのかなりの部分をルーティンワーク化した一連の作業工程が占めていたようにも思う。そして、この行程を続けて行く中で、シャッターを切る瞬間や、写真として画像となったときの確信ができてくることは、確かにいえる。

 ランナーのランニングハイ。画を描く人たちのペインティングハイ。研究に携わる人たちのアカデミックハイ。などなど、その道を突き詰めて行く道程のなかで起きる「一連のことが繋がった感じの恍惚感。」は、簡単に言えば「日々続ける。」なかで起こること。

 でも40年前のあのころ「毎日一枚の写真を撮れ。」ということの意味は、判っていなかった。

 まあ、この年になって判っただけでも良しとしよう。そのような訳で「ふたたびの写真日録」なのです。

 日々更新。日々亢進。