日々静物画写真

握力が半分に落ちた。ジジイになったことを自覚することが起きた。

65歳以上の高齢者人口が3588万人、総人口の28.4%となったそうだ。たしかに、どこに行っても、私もふくめ、年寄りが沢山いるわけだ。。 先日、誕生日を迎えた。この十年ほど誕生日がきて、「いくつになった。」と聞かれても即座に返事できない。「2019-1951=…

光輝く、美しいものであふれている。

私の暮らしは、光に輝く、美しいものであふれている。 My life is overflowing with beautiful things shining in the light. 私の暮らしは、写真にできる、美しいものであふれている。 My life is overflowing with beautiful things that can be taken in …

リンゴを手で割って二つにする

先日、知人の所を訪れた際にリンゴがいくつかあって「持って帰れ」と言う。皮をむくのが面倒でなかなか食べるに至らないと。 「皮など剥かず、かぶりつけば良い。」と言うと。「若い頃ならそうもしたけれど、口を大きく開くことも面倒だ。せめて半分ぐらいで…

「静物画写真」はじまりの一枚

年明けて、写真データを保存しているHDの容量に余裕がなくなってきたので、新しいHDにデータを移動させる作業をしていた。画像を確かめながら。はっきりと覚えているもの。こんなもの撮っていたんだと思うもの。そんななかの「これ・・・」という一枚。「石…

お正月なので「くわい」

さいたま市周辺は、首都圏の代表的な住宅地ではあるのですが、広大な農地が広がっていて、例えば、さいたま新都心のすぐ東側には、「見沼田圃」と呼ばれる大きな保全地域があり、日常の風景として新都心の高層ビルと田圃が苦もなくワンショットで撮影できま…

コタツの天板も捨てたもんじゃない

realistic stillness~In the living room 800×800 冬至を挟んだ前後4ヶ月、八畳の和室の真ん中に置いた、こたつまで陽の光が差し込む。南向きの掃き出しのサッシの外には、5mほどの小さな庭。そのまた向こうには、さえぎる建物がないので、日当りはきわめ…

真冬のハイビスカス

これも温暖化? 一週間まえ、気温が冬めいて下がった日。南向きの軒下に置いた植木鉢のハイビスカスが、元気をなくしていた。急に来た寒さに曝されたせいだろう。もうすぐ開きそうなつぼみも首を下げていた。 日差しが入るサッシの内側にとりあえず取り入れ…

2018,12,04.さいたまのみかん

「秩父夜祭り」が終わって冬の到来。のはずが、庭先のバジルもまだ青々としている。12月になったけれど、今年は、冬になったというより、まだ晩秋の趣き。 いつも訪れる産直所は、「果実もの」が、ピークはやや過ぎた感じではあるけれど、ほんとうに山盛り…

Photograph is my life

Photograph is my life

作業小屋にて。In a farm work hut.

二階建ての作業古家。一階は物置、二階は撮影部屋と六畳ほどの畳敷きの部屋。物置には、ことある度に物が詰め込まれるものだから、何がどこにあるのかわからなくなっている。幾年も触られなかった箱が沢山あって、なにかしらの時に開けると驚くものがでてく…

唯一無二の写真を創る

写真を撮るとき。創るとき。強く憶うことがある。 これまでどこにもなかった,始めての写真を創ること。 誰も見たことのない写真。 唯一無二の写真。

続けるということ

3年、5年、10年、あるいはもっと長く続けたとして その時がきたとき、どのような結果がでているのか 良い結果かもしれないし、なにも残っていないかもしれない けれど、続けたあとにくる、なにものかは、続けることでしかやってこない もしかすると、自…

唯、唯一の

創るならば、ほかに類するものではない唯一のものでなければならない。 どこにもない、見たことのない、想いもよらない、そのような写真を創る。

40年前の青年の姿で

入院していた時のこと、携帯電話が鳴り、見知らぬ番号が表示されていた。電話の向こうの彼が告げた名前で、すぐに誰であるかを理解したが、およそ40年ぶりの連絡であった。学校の同窓会名簿から、実家を探し、私の携帯にたどり着いたということであった。 …

入院の記録

入院から二ヶ月が過ぎようとしています。梅雨が開けて、気力がついていかずボンヤリしています。いつもの写真は撮ったのですが。病棟での日々を思い出していました。ipodでとった写真をあらためて見る。

k氏に捧ぐ

続けること

2013.04.17以来ひさびさのTextです。 Textを書きたくなったことは、幾度かあったのですが、なんとなく世の中「ものが言えない、言いにくい雰囲気」のことが多くなったような気がしてしています。最近でいえば、東京五輪のこと「ウーーーン」という感じの人が…

カメラは、何でも良いわけではない。

二週間程前のsumihateさんのブログ「カメラもなく、腕もなく・・・」に 「私思うに、さにあらずサイバーショットでも十分です。だってsumihateさんの写真、私、好きですヨ。この件、長くなるので改めて書いてみます。」 とコメントしたことずっと気になって…

肖像写真として、ほめられた物ではないが・・・。

現在、私が住んでいるところは、さいたま市といえど、東京通勤圏にある住宅地で、それなりの買い物をするためには、駅周辺の商店街では、用が足りず、15キロ圏内に6カ所あるショッピングセンターのどこかに出かける。車が日常の足になっている。 いつの頃…

今度は粋かよクールジャパン。自分で言ったら野暮になる。

もうずいぶん前のことになる、娘が保育園に通っていた頃の事。毎朝、保育園に娘を送って行くのは、私の役目だった。朝に子供達を待っている保育士さんは、一週ごとに替わるのだけれども、その中のAさんのお迎えの言葉は、「○◯ちゃん、おはよう、今日もがんば…

大人の発達障害

このtext blogも気がついてみるとほぼ1ヶ月更新していない。これまで、少しなりとも写真にまつわる事を書いて来たけれど、今回は、意を決して、写真から離れたことを書いて見る事にしたのです。 この数年、ニホンの大きな新聞やテレビのニュース、報道番組…

卓袱台の上だって写真になる瞬間

被写体をそこまで運んではくるけれども、構図までを決めて、このように撮ろうと決めてかかっている訳ではない。このような光のもとで、このような構図で撮ると決めてかかっても写真には、ならない。 習作のように、あらかじめ手本となる図像のあるものでも、…

黒バックに卵

40年前の写真小僧が写真学生になったばかりの5月、写真撮影の実習課題として、こんなものがあった。「白バックに卵」「白バックに石炭」「黒バックに石炭」「黒バックに卵」被写体が「卵」と「石炭」で背景が白と黒の色ケント紙。私の記憶では、担当が研…

父の写真機

十年前に亡くなった父のカメラである。 我が国最古のカメラメーカーである六桜社製のリリー5年型カメラ。(六桜社とはコニカ・ミノルタの前身、小西六本店のカメラ製造子会社。) このカメラを父が使っていたのを、私は見た記憶がない。父が使っていたこと…

帰ったら雪、戻っても雪・・・一年ぶりの帰盛

故郷、盛岡は、例年冬の降雪が、それほど多くない。大陸からやってくる日本海越えの湿気を含んだ寒気は東北の背骨、奥羽山脈にぶつかって日本海側の青森津軽、秋田、山形に大雪を降らせる。山脈を越えてやってくる寒風は、乾燥していて太平洋側は、大雪には…

写真日録

40年前の写真小僧が写真学生だったとき「毎日一枚の写真を撮れ。」と言われていた。毎日フィルム一本は、撮影するようにとも言われていたので、「毎日一枚の写真を作れ。」ということ。35㍉銀塩フィルム一本は、36コマなのだけれども、TTLがついている…

ふたたびの写真

40年前の写真小僧が写真学生だったあのころ、漠とした写真家になるのだという夢は、持っていたものの、先行する世代のカメラマンの群れが、我が世の春とばかりに大活躍の時代。おいしい生活、セゾン、PARCO、糸井重里、川崎徹に代表される広告の時代、バブ…

写真にテキストを付けない事について

40年前の写真小僧が写真学校生だったころ、その写真学校は、かなり真面目に写真をやっていて、(その当時もかなり、いいかげんな写真専門学校が多かった。)写真制作の課題が毎週ひとつ以上のペースであった。単写真は、認められず、組写真が基本かつ前提…

銀塩写真について思うこと

銀塩写真と、わざわざ断らなければいけない時代になってしまった。 2012年、不特定の100人に聞いた時に「カメラ」といえば、デジタルカメラのことであって、フィルムを使う「フィルムカメラ」をイメージする人は、ほぼゼロだろう。それは、レコード盤とCD…

写真は、真実を写す? その2、

関東地方の平野部が最後の紅葉の季節を迎えている。そんな紅葉の季節を迎えて思い出すのが、この写真。前のシーズンに、雨上がりの野火止の平林寺で撮ったものである。 そのとき同行した氏いわく「本物のモミジは、こんなにきれいじゃない。」「色、足して…