黒バックに卵

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 40年前の写真小僧が写真学生になったばかりの5月、写真撮影の実習課題として、こんなものがあった。「白バックに卵」「白バックに石炭」「黒バックに石炭」「黒バックに卵」被写体が「卵」と「石炭」で背景が白と黒の色ケント紙。私の記憶では、担当が研究室の助手で、とにかく撮影して紙焼きを提出するように、とのことで、何の事やら課題の意味する所の説明もなかったような気がする。

 写真学生になったばかりとはいえ、「白バックに卵」「黒バックに石炭」は、手強いかなと思えた。けれど「白バックに石炭」「黒バックに卵」は楽勝だろうと撮影、プリントを終えて課題提出。結果は、卵がグレー、石炭がグレー、白バックも黒バックもグレーであるとの評価、再提出となった。はっきり言えば、いまだってこんな課題だされたら4パターンとも合格する自信はない。白と黒だけだって大変なのに、卵と石炭の質感、ケント紙の質感まで言われているわけで、写真学生になって一ヶ月の写真小僧には、太陽を西から昇らせろ、ぐらいの無茶ぶり課題である。

 この課題、再々提出ぐらいまでは、やったように思うが当時の同級生も合格した記憶がなく。いつの間にか課題自体がフェイドアウトしたように思う。(念のためにいえば、モノクロ撮影、モノクロプリントの課題です。これがカラー撮影だと色温度のことなどもからみ、より難度は高くなる。)

 

 という前振りをしておきながら、あえて冒頭の質感不明の「黒バックに卵」の写真。そして、40年後の今も、「白バックに卵」「白バックに石炭」「黒バックに石炭」「黒バックに卵」が写真技術を越えた「写真をする」さまざまな局面で浮かんでくる。

 

 写真について論じる時、カラーであるかモノクロであるか、銀塩であるかデジタルであるかが、きわめて断定的に頻繁に語られる。わたしは、モノクロであるとか、カラーであるとかの不幸も「写真」が真実を写す物であるとの神話から生まれたものであると、思っている。

 

 モノクロであろうとカラーであろうと、重要なのは「光と色」それがある「空間」でそれをどのように「感じ」捉えて、写真としてフィードバックするのか。

 黒は、光の反射率がゼロですべての波長の光を吸収する色で、絵の具の三原色を混ぜると黒になる。一方、すべての波長の光を均質的に含んで強く反射していれば、白に見える。見る人が、いずれかの波長の光色を、弱く、強く、感じるかによって、空間の広がりをどのように感じるかによって、一枚の写真は、違って見える。それで良いのだと思う。

 本来の目論みではなかっただろうが、写真学生になりたての時期に、究極の課題を与えてくれたものだと思う。「白バックに卵」「白バックに石炭」「黒バックに石炭」「黒バックに卵」。

  ちなみに冒頭の卵の写真、「カラー写真」である。